赤穂緞通は、中村(現赤穂市中広)に住む児島なかが、夫と旅行中に目にした中国の万暦氈に触発され、二十数年間に及ぶ試行錯誤の末に織成を成功させ、明治7年に商品化したことに始まる。明治二十年代以降、製作の中心は新浜村(現赤穂市御崎)に移り、昭和13年頃まで同村の複数の織元で製作された。赤穂段通の機は通常の織物と同じ高機である。素材は経糸・緯糸・挟糸と呼ばれるパイル系のいずれも木綿、大きさは1畳敷を基本としている。色の境に鋏を入れ、文様に立体感をつけるのが鍋島や堺にはない特徴である。
- 2018/02/233月17日(土)18日(日)赤穂市文化会館で赤穂緞通工房が作品展示
- 2016/05/19工房紹介ページを追加しました。
- 2015/12/18サイトオープンしました。