赤穂緞通について

赤穂緞通は、中村(現赤穂市中広)に住む児島なかが、夫と旅行中に目にした中国の万暦氈に触発され、二十数年間に及ぶ試行錯誤の末に織成を成功させ、明治7年に商品化したことに始まる。明治二十年代以降、製作の中心は新浜村(現赤穂市御崎)に移り、昭和13年頃まで同村の複数の織元で製作された。赤穂段通の機は通常の織物と同じ高機である。素材は経糸・緯糸・挟糸と呼ばれるパイル系のいずれも木綿、大きさは1畳敷を基本としている。色の境に鋏を入れ、文様に立体感をつけるのが鍋島や堺にはない特徴である。

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  • 赤穂緞通の歴史

    赤穂緞通の歴史

    140年の歴史を誇る、赤穂緞通の歴史について紹介します。

  • 赤穂緞通ができるまで

    赤穂緞通ができるまで

    赤穂緞通のどのようにして作られているのか紹介します。

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